シモーヌ・ヴェイユ「重力と恩寵」より抜粋

不幸に陥ると、生活本能はもぎはなされた執着の対象よりも生きながらえ、支えとなりうるものには何にでも盲目的にしがみつく。ちょうど、植物がそのつたを巻きつけるように。



「私」の死んでいる人には、手のほどこしようがない。しかし、ある特定の人物のなかで「私」がまったく死んでいるか、あるいはただ活気をなくしているだけなのか容易にわかるものではない。「私」が完全に死んでいなければ、愛でその息を吹き返させることができる。ただしまったく純粋な愛に限る。毛筋ほどの優越感があってもならない。さげすみの影がすこしでもさすと、相手は死への急坂を駆けおりてしまうからである。

「私」がなかば死んでしまうと、その「私」はとどめを刺されることを望み、失神状態のなかに沈み込んでいく。